2012年2月15日水曜日

永遠の自分探し//////


先日ネットで面白い記事を見つけました。

以下その紹介です。



人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware ん。彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということですが、特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。

 
1.
「自分自身に忠実に生きれば良かった」

2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」

3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」

4. 「友人関係を続けていれば良かった」

5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

すべてもっともな気がしますが・・・



そもそもオーストラリアでの話ですよね。この調査・・・

自分の勝手な思い込みですが、まだまだオーストラリアって日本より全ての時間がゆっくり流れているような気がするのです。

あんまり、オーストラリアの通勤ラッシュの映像とか見ませんし。

自然も豊かで素晴らしいと思っていたのですが・・



それなのに「あんなに一生懸命働かなくても・・」と思うんですねぇ。



日本はすごいですよ、その点。

「一生懸命働かない・・」って言ってみたいが、働かないと食えない。

いや、いまや「働きたいのに働く場所がない」・・・どうですか?

働いても家族を養うだけの給料がない・・とか



でも、上の5項目って、考えれば良い意味の「自己中心主義」ですよね。

「良い意味での自己中心主義」になれなかったということでしょうか。



ここで、一昔前流行った「自分探し」という言葉を思い出しました。



「自分探し」って思春期の特徴的な思考と思われがちですが

5項目をみる限りは、人間って死の間際まで「自分探し」を続けるのだなあと思いました。



ちなみに私・・・

万が一、いま死に直面して後悔の念があるとすれば・・



大相撲を砂被りで見たかった!

歌舞伎を一番良い席で見たかった!

田舎の畑の雑草をどうするのか!

死ぬまで一度外国というところを観てみたかった!

クラウンという車に一度乗りたかった!

・・・・ぐらいか・・・





あれ~~・・・・レベル低い!

そんなレベルの人生なのね!

  
 







2012年2月1日水曜日

大人の対応に拍手////

 
【人種差別・意訳 ENGLISH/JAPANESE】実際にあった話

 50代とおぼしき妙齢の白人女性が機内で席につくと

 彼女は自分の隣が黒人男性であるという事に気...がついた

周囲にもわかる程に激怒した彼女はアテンダントを呼んだ

アテンダントが「どうなさいましたか?」と訊くと

「分からないの?」とその白人女性は言った

 「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないわ。席を替えて頂戴」

「お客様。落ち着いていただけますか」とアテンダント

 「当便はあいにく満席でございますが

  今一度、空席があるかどうか、私調べて参ります」

そう言って去ったアテンダントは、数分後に戻って来てこう言った

 「お客様、先ほど申し上げましたように、

  こちらのエコノミークラスは満席でございました。

  ただ、機長に確認したところ

  ファーストクラスには空席があるとのことでございます」

そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けた

「お察しとは存じますが、

  当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるという事は

  通常行っておりません

  しかしながら、或るお客様が

  不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、という事は

  当社にとって恥ずべき事となると判断いたしますので

  当然事情は変わって参ります」


そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言った

 「ということで、お客様、もしおさしつかえなければ

  お手荷物をまとめていただけませんでしょうか?

  ファーストクラスのお席へご案内します」

近くの乗客が、歓声をあげるのを

 その白人女性は呆然と眺めるだけであった

 スタンディングオベーションを送る者もいた

【人種差別に反対の人はシェアしよう】

コメントを日本語に訳されたのは宮本端さんです。
 
  
 
以上はFacebookからシェアさせて頂きました。
 
拍手!!

2012年1月21日土曜日

ひとつの推論から///////





この話は作り話ですが・・・



男性Aさん83歳

元調理師で若いときは居酒屋店主

調理は得意で炊事・洗濯・掃除は自分でする

市営住宅で独り暮らし(身内は誰もいない)

糖尿病で通院(インシュリンは使わず)

他皮膚科・歯科・眼科に通院中

メガネは使わない

補聴器を使用(両耳)

自動車の運転はまだできるが車は何カ所もへこんでいる

体型は小太り・体重63キロ

身長158センチ

明るい几帳面な性格

二年前に両下肢のリンパ性浮腫に苦しむが現在は完治

散歩はするが300メートルで限界、杖はつかない

腰・膝の痛みは常時

コルセット・膝サポーター常時使用

信心深く祖先を大事にする

毎朝仏壇と神棚に手を合わせる

1週間前に奥歯を抜歯(残っていた最後の歯)、通常は入れ歯使用

3日前に「ハグキが痛くて入れ歯を外している」と知人に話す





その朝・・・

知人がAさん宅を訪ねると台所でAさんが倒れていた。

慌てて呼びかけるとかすかに返事をする。

「救急車を呼んでほしい」と話す。

「救急車!」と叫びながら出てきた知人の声に隣人が消防に電話。



搬送先の甲病院で血液検査・・「手におえないので乙病院へ手配する」と再搬送

付き添った知人(85歳)に医師は「血液の状態がよくない」と説明。

知人は聞いて、意味は理解できないが「状態は相当悪い」と判断する。

医師がどんな説明をしたのか詳細は不明。

この時点でもAさんは意識有。



再搬送の甲病院で検査・・・・・知人の話では「医師は血液のガンみたいな」と言ったという。

「この病院では専門医がいないので丙病院に転医する準備をします」とのこと。

ただし丙病院の専門医は派遣医師であるため明日まで乙病院で様子を観るとのことであった。



その夜Aさんは急変し亡くなった。



全く雲をつかむような話であるが・・・

立ち会った知人も高齢で医師の説明を第三者に伝えることが難しい。



Aさんにいったい何が起きたのか?



自分なりに推測するに・・・



抜歯に起因した敗血症から播種性血管内凝固症候群への移行ではなかったかと考えています。

これはあくまでも推測ですが・・・

まず医師の話の内容が伝言ゲームの様で全く不鮮明です。

おそらく医師は病名について付き添った知人に話しているのでしょうが・・・



高齢者の抜歯も十分注意しなければいけません。

特に糖尿病や慢性疾患の治療を受けていれば、必ず歯科医へ詳細に伝える必要があります。

しかし問題は、本人が自分の病気について正しい認識を持ち得ていない場合や伝える能力に疑問がある場合などです。



歯科では初診時に問診が行われる「はず」です。

この問診に高齢者が正しく回答できるのか・・・・または担当の歯科助手が正しく認識できるのか

相当難しい場合もあるでしょう。



「血液サラサラのお薬は飲んでますか?」

「どんなお薬飲んでますか?」



これは私の母(当時89歳)が大腿骨頚部骨折で救急搬送された時医師に尋ねられた言葉です。

実は本人も自分の薬の内容をほとんど理解できていませんでした。

つまりは自分の体や病気のことを理解できていないという状態でした。



医療情報については個人情報の問題もついて回ります。

しかし同じ検査を転医のたびに繰り返しするとか、受診が多科にわたり薬が把握出来にくいというようなことは患者にとってもマイナスです。無駄をなくすためにも医療全体で患者情報を共有するシステムを作ることは必要なことではないかと思います。



この話のAさんの場合でも

甲病院⇒乙病院⇒丙病院(専門医)と転医するのですがこの間の情報は寸断されているのが現状です。他科の情報は本人の「申告」次第といってもいいでしょう。とんでもない誤情報が発信される可能瀬があります。



ひるがえって鍼灸・マッサージ師という自分の仕事でも同じです。

以前、マッサージを希望された方に基本的な問診をしていたら「そんなこと言わないといけないんですか」と質問されたことがあります。

理由を説明し納得して頂きましたが、正しい情報を得てそれに合った正しい施術を行うためです。それは患者さんのために必要なことなのです。

往診(往療)などでは、問診させて頂いたうえで患者さんのお薬を拝見し、どのような病気を治療中であるのか確認させて頂くこともあります。



医療が進み患者が各科を選択し、または病院医院を自由に選択する時代です。

しかし医療の相互の関連が十分でない「ブラックボックス」が存在し、ときにその暗闇に落ち込んでしまう危険性があるということを、私たちは十分認識しておく必要があると思うのです。 
 
 

  

2012年1月8日日曜日

新年早々・・沖縄について考える//////


 沖縄の現状についてよく患者さんと話します。ある人の論点はこうです。

日本は戦争に負けてアメリカの庇護のもとに現在がある。基地も受け入れる必要があると・・・しかし沖縄に米軍基地を押し付けているという現実には目をつぶります。
百歩譲って彼の言うとおりだとしても沖縄の基地の負担を日本国は減らさなければなりません。
ですから私は逆説としてこう話します。

「この周辺で基地を受け入れたらいいのちがいます?」って。

それにはさすがの彼も途端に答えに窮します。当たり前です。
「基地は沖縄でよかった」と思っているのではないか・・・そんな気持ちにさえなってしまいます。

日米同盟や安全保障だと声高に叫ぶ政治家はぜひ地元に米軍基地を「誘致」して頂きたい。

日本国民として等しくその義務を負うべく・・・しかしそんなことはできるはずもないのです。

地元が爆発するのは明らかです。

ならば沖縄であれば是なのか?なぜ?どうして・・・その深い根本のところに人として良心の呵責を感じなければならないと思うのです。

沖縄や沖縄の人々に対して懺悔し恥じなければならぬ歴史が私たちの方にあると思うのです。

もちろんいち早くその事実に気づき、先進的に連帯の運動を進めておられる方も多くいますが。

また責任の側からいえば国家の責任、マスコミの責任、その他色々あるでしょう。

マスコミはしばしば沖縄の基地問題を「日米外交のトゲ」と表現します。
「本土的発想」でいえば小さな「トゲ」でしょうが、これは現状の国の姿勢を継続すればするほど、構造的に解決できない現象であり、解決のためにはきっと国のあり方を根本から問わなければならない処方箋が必要になると思うのです。

現在の政治の構造は「安定」しています。
政党政治・官僚政治・大企業・アメリカとの軍事同盟は連綿として戦後形成されています。

しかし現在沖縄でおきているような矛盾が国民の生活基盤のいたるところに吹き出し、それが逆に言いようのないストレスを与えています。

「何か」を「誰か」の出現を無性に期待する空気が充満してきていると思います。その一つの有権者の表現が「大阪維新の会」だと思うのです。また一部には日本版「緑の党」の結成の報道もあります。今後は増々このような多元的な勢力が生まれる可能性があります。

しかしこの間の動向をみれば、もっとも根幹的な「国のあり方」をどうするのかという議論が決定的に抜け落ちていると思います。政治家は「どのような国家」として日本を創出するのか、そのビジョンを提起する必要があると思います。

国民は何かを期待して自民党から民主党に政権を与えました。しかし結果は散々なもので一向に成果が上がらないばかりか一層の政治不信を生み出しています。「維新の会」でも国のあり方は見えてきません。

橋下氏がいうように「連続の不連続」を目指すのであれば官僚政治や政治劣化をリセットする際には日米軍事同盟や国際的な日本の立ち位置を含めてリセットしなければならないと思います。

「沖縄を沖縄へ返せ」という当たり前のことを阻んでいる元凶に対して、愚直に、果敢に、継続的に、そして将来の希望を掲げて挑み続ける人々を大いに支持し連帯を表明したいと思います。




2011年12月29日木曜日

今年もありがとうございました/////


今年も1年お世話になりました

今年を自分なりに振り返ってみますと・・・



1月

携帯電話を替えました。AUのIS03・・いわゆるスマートホン・・・既に今では旧式です。

あまりの電池の消耗の早さにビックリ・・これは携帯電話じゃありません。

電話だと思うと使いにくい電話です・・・

落とすとすぐに壊れそうです・・画面は大きいのですが弱そう。

本体料金も相当ですね。



しかし機能的には満足しています。役立ってますね・・

今ではもっとすごい機能がついてるのだろうなあ。



和歌山で記録的な大雪があり、日常5分の通勤時間が3時間かかった日がありましたなあ・・



2月

口熊野マラソントレーナールームでのボランティアをやりました。

ゲストの「宿命のライバル」瀬古・中山両氏の掛け合いトークが面白かった!!

毎年2月の第一日曜日です。

ランニング趣味の方はぜひお越しください。

次回もトレーナールームでお待ちしております。





3月11日・・大震災・・原発事故・・

大津波警報が和歌山でも発令・・近隣の海岸線の道路封鎖!

たまたま往診中で海岸線を走っていたので、すぐに高台に上りました。



ラジオで尋常でないアナウンス!

車のTVであの東北の津波を放送しており、観て絶句!!



東京の息子に連絡不能となりました。

なんとかTwitterだけはつながったのでまずは「生存」を確認。

東京も大揺れでパニック状態とのことでした。



その後の経過は皆様ご存知の通り・・

災害復興も原発の安定化もまだまだです。



Twitterってこの時はありがたいと思いました。



20日、息子たちのバンドの大阪ライブを見に行きました・・

・・・爆音で耳やられました。

震災後東京で不足していた食品・電池やラジオ等を届けました。



町内会長が順番で回ってきたのも3月。



4月 

義母一周忌

町内会大掃除・・(これ、実は町内会長任期中最大のイベントなんです)

町内会から被災地へ・・・役場を通じて義援金を贈る。



息子・・・東京のライブハウスで演奏中に背中を何かで刺す・・金属らしいが。

まったく・・江頭2:50みたいな恰好でライブしてるんじゃないか・・

お客もドン引きの出血ライブ!!



もう少しで腎臓まで達するところだったらしい・・

かなりの負傷。



5月

 沖縄へ・・・夫婦で沖縄へ行って参りました。

 娘夫婦と孫のう~ちゃんに会いに行きました・・が・・



 詳しくはブログでご覧ください・・・



6月

ギターのペグを取り換える・・・ネット注文して自分でやったがまずまずの出来。

このアコギ、かれこれ30年近くになるだろうなあ。

昨年リペアしてぐっと音がよくなった・・・しかし新品買った方が安い位のお値段。

リペアの様子は職人さんのホームページに写真付きで掲載されるので値段も「そんなもの」でしょう。

納得です。





息子・・東京より一時帰省



7月

治療院で漏水・・メーターがすごい!二カ所セメントを割って確認し修理。



8月

特に変わったことがないので・・・島田紳助黒い交際発覚芸能界引退・・





9月

1日~4日まで降り続く雨で紀伊半島の被害甚大。

正味、三日三晩一時も止まずに強い雨が降り続きました。

十津川村も大変でした・・・

和歌山にも災害救援で全国からボランティアの方や自衛隊などが駆けつけてくれました。

まだまだ土嚢を積んだ場所や、崩れた道路がそのままだったりします。

うちの町内も一カ所土砂崩れがあり、二世帯が町内会館に二週間ほど避難しました。



10月 

京都市立美術館でゴッホの自画像に会う・・たまには美術鑑賞もいいものです。

3代目iPod購入

治療院を美装屋さんに掃除してもらう・・・お金がかかるので2年に一回です。



11月 

今度は娘夫婦と孫が沖縄から来ました。知人の結婚式に参加とのこと。

沖縄まで結婚式に来てくれた友人ですから・・・行かないとね。



二泊でしたがアドベンチャーワールドなどで遊びました。

パンダって結構かわいいです。





孫のう~ちゃんは随分おしゃべりになっていました。

このころの子どもの成長はすごいです!



息子たちのバンド『キングヌラリヒョン』活動休止・・・

これからは3人別々の方向性をもって音楽活動するとか・・



『キンヌラ』も今まで沢山の方に支えて頂いたようです。

メンバーのコジマさん、カワラグチさん・・・お疲れ様。

今後のご活躍を期待しています。



もし、東京の下北沢や渋谷などライブハウスで「アタギ」というバンドマンが出ていれば

・・・・相当な確率で私の息子でございます。



12

胃カメラ実施・・・とりあえず大丈夫とのこと・・



いつも年越しはイタリアンレストラン『ピエン』さんのイタリアンのお節をいただきながらです。

今年も注文しております。

ワインも準備しております。



そして「紅白」・・・・・は観ません。





不幸な事象が連なった今年ですが

来年は・・・人々が今よりも幸せになれますように・・

来年が皆様にとって良い年でありますように。


 

2011年12月3日土曜日

うーちゃん達がやって来た!/////

 
  
   

沖縄にいる孫のもうすぐ2歳の「うーちゃん」が

 
パパの友人の結婚式のためにママ(私の娘)と一緒に戻ってきました。

戻ってきたというのは、私の家で生まれた直後から5カ月ほどいたからです。

このころの成長は全く目を見張るものがありますね。
 

お話も大体理解できるようだし、単語も少し話せるようになってきました。



二日間しかいませんでしたが、自分の子育ての時にはわからなかった

いろんな側面を見せてくれるようになりました。
 

     
なんといってもこの笑顔!!

パパとママも仕事をしているので保育園に通っていますが、

集団保育の中で友達もたくさんできたようです。



娘に聞いたところ、朝7時から保育可能で延長保育は午後7時まであるそうです。

私の時代には考えられないことでした。
 

産休明け保育や延長保育を求めても行政の枠内にはなく

自分たちで共同保育所を立ち上げたりした時代ですから。

更に驚いたのは、「病児保育」があるという事です。

近所の病院の中で保育をしてくれるというのです。



子育ての環境の充実は、両親が働けるかどうかの大きな分岐点です。

子育てしながらでも安心して働けると、これは国家・社会にとっても大きなプラスです。


 
「お母さんは専業主婦で家にいるべきだ」というご意見もあるでしょうが・・・

それはそれとして・・・

そしてほんとうは延長保育や病児保育がいらないような「労働条件」があればもっとよいのです。



なにも直接「こども手当」みたいに現金給付にこだわってもらわなくても

子どもを中心に人々が幸せになる方法はたくさんあると思うのです。



今度大阪市長になった橋下さんは「教育は200%強制だ」と放言していますが・・・

こんなかわいい無邪気な笑顔に向き合った時に、そんな考えが正しいモノかどうかは

非常に疑わしく恐ろしささえ感じます・・・



「子育て」を通じて社会への視野はどんどん広がってきます。



新米パパ・ママもいま色々勉強をしている最中だと思います。



「うーちゃん」たちが大きくなった時に、今よりも少しでも良い世の中を引き継げるように

人生の後半戦に入り始めた「ジイジ」達ももうひと頑張りしなくては!


そう強く感じた数日でした・・・
 
   
 
 




 
  

2011年11月17日木曜日

「どじょう」から考える・・・//////



野田総理が自分のことを「どじょう」と言った。

「どじょうは金魚にはなれない」「泥臭く・・・」政治に取り組む・・らしい。



あだ名・・・



思い起こせばいろんな奴がいた。

小学生の時代からの友達のあだ名・・


      ぱっちゃん
 
      ちょ~ぴ~
 
      べっちょん
 
      たぼきん

             かねごん(別名は小3生なのになぜか小円遊!)
        
      たやしん

             おばこ

             やっさん

             まっちゃん

             こつ

               ナドナド
        



理由は一つ一つある。



例えば「ぱっちゃん」はオデコが大きい。

『モーレツ ア太郎』の「でこっぱち」に似ていた。

だから最初は「パチ~」と呼ばれたが、敬称がついて「ぱっちゃん」になった。



「ちょ~ぴ~」は巻き毛だった。

パッと見、キューピーちゃんの頭みたいだった。

それだけで「ちょ~ぴ~」になった。



「おばこ」は女子。

パッと見、おばあちゃんみたいだったので「おばこ」になった。

残酷である!



「べっちょん」は・・・

ベトナム戦争の音(おん)が入って、難しい経過があってこうなった。

小学生なりにベトナム戦争を肌で感じていた。



「たぼきん」は・・・・

どろどろの田んぼを・・フリチンで泳ぎ回ってこうなった(笑





友達にはちゃんとわかるのだが、周りからは全く意味不明だろう。





大学時代にはもっとすごいのがあった!
 

          ゴキブリ

          カス

          ハイザラ

          ズリ~

          ドブ

          ロク

          フリル

          マタンピ

          スカンピ
 
          エロザル

          マタハチ

          ヤッコ

          スルメ

           ヒヨコ
 
           ダブツ

           オラン

           サイダー

           ママレモン

           エラ

           カンチョウ

           ベース

           ヌーボー

           ブチ

           ボツ

           ジンベー

           カイケツ 等々
  


こういうのが無限に続く(笑 



こりゃ今から思うとヒドイ!

ここまで来ると、関西落語の若手の名前よりひどい。

たけし軍団レベルである。


こういう呼び名をお互いどこでも使っていた・・・・



地下鉄の向こうとコッチに離れて座っていても

「あのな~ゴキブリよ~話あるんや・・」って(笑

すると「ゴキブリ」が
ゴ)「なんや~、エロザル!」って 
エ)「ママレモンに聞いてんけどな・・・」
  「なんかヒヨコとスルメが最近体調崩してるらしいで・・インフルエンザかな?・・・」
ゴ)「あ~そのことやったらオレもハイザラに聞いたわ!」って



もし一般市民が聞いたら・・・



会話に登場する「物品」「食物」「妖怪」などが・・

「あだ名」であることを知らなければ



およそこの世のものとも思われぬ異様な会話(爆笑


こういうこともあった・・・・



「ヒヨコ」氏が「オレはヒヨコっていうのが嫌だ!」
 
「大学2年生になるし、1年に馬鹿にされる。もっとちゃんとしたネームを考えてくれ」と言い始めた。

彼は地元からお菓子の「ヒヨコ饅頭」を持ってきたためにこんなネーミングになっていたのだ。


そうか!それは悪いことをした・・・名付けの親の上級生たちが協議。
 

「ヒヨコ・・・おい、いいのがあったぞ!!今度は最高や!」

「なんですか!・・どんなネームですか!!」

パッと「ヒヨコ」氏の顔が明るくなった!!
 

これや・・・・と先輩が紙に書いたネームは・・・





      「かしわ」






「お前の成長を願ってのことや!」
 

「先輩・・・これ・・・すでに死んでますやん・・・・・」

注)関西では鶏肉のことを「かしわ」と言っている・・・

以来「ヒヨコ」氏は4年間「ヒヨコ」で通したそうな・・・

「かしわ」はお蔵入りとなった。
 


今でも大学の同級生に出会うとこれらのネームで呼び合っているが(汗・・

これはあくまでも身内のお話し。



「燃える闘魂」「ミスタージャイアンツ」「東洋の魔女」・・・

ちょっと古いが「8時半の男」「突貫小僧」(これ分かる人はかなりの通!)

・・・・等々



記録よりも記憶に残る人々には必ずニックネームや愛称があるもの。



さて・・・「どじょう」・・・はどんな記憶を人々に残すのだろうか・・・